「世界に一つだけの花」が嫌いだった自分が守りたかったもの

小学生の頃、あの曲を歌うたびに違和感を覚えた。
胸の奥がざわつき、落ち着かない気持ちになった。
「世界に一つだけの花」。
確かに言葉としては美しい。
しかし、「ありのままでいい」「みんなが特別」という歌詞には、どこか現実味がなく、納得できなかった。
「みんな違って、みんな良い」。
確かにそうかもしれないが、現実はそう単純ではない。
努力しても評価されない人がいる。
「ナンバーワンにならなくてもいい。みんなオンリーワン。」
そう歌うたびに、心の中で反発する気持ちが生まれた。
「本当にそうなのか?」と。
「オンリーワンであることに誇りを持て」
この言葉を、「何もしなくても価値がある」と受け取る人もいるかもしれない。
だが、オンリーワンとは、何かの分野で秀でた存在のことではないのか?
結局、それは言い換えたナンバーワンではないのか?
*
花屋に並ぶ花は、選び抜かれたものだけだ。
本来、あの歌が届けるべきなのは、そこに並ぶことすらできなかった花のはずではないか。
私が違和感を覚えたのは、その現実を知り始めた頃だった。
「みんなが特別」という言葉が、どうしても受け入れられなかった。
とはいえ、歌わないという選択肢はなかった。
歌わなければ、先生に注意される。
周囲と違う行動をすれば、目立ってしまう。
納得できないまま歌い続けることで、自分の気持ちを押し殺しているように感じた。
歌詞を口にするたび、本心とは違う言葉を言わされている気がした。
「個性を大切に」と言いながら、全員に同じことを求める。
それが矛盾していることに気づいたとき、自分の違和感の正体がわかった。
「みんな違うはずなのに、同じように歌うことを求められる」
その状況が、私には納得できなかったのだ。
*
もし、当時の自分に声をかけられるなら、こう伝えたい。
「その違和感は間違っていない。それは、自分の考えを大切にしようとする気持ちだったんだ」と。
当時、大人たちは「子どものこだわり」として気にも留めなかった。
しかし、あの感覚は、自分の価値観を守ろうとする自然な反応だったのだと思う。
それに気づかせてくれたのは、友人に勧められて読んだ 『自分の中に毒を持て』 だった。
岡本太郎さんの言葉の中に、私は自分自身を見つけた。
彼は子どもの頃、いじめられた経験がある。
そして、大人になっていじめっ子にこう言われた。
「君だけは言うことを聞かなかったから、いじめたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、彼は気づいたという。
「自分はあの時、自分自身を守り抜いていたのだ」 と。
*
オンリーワンとは、それだ。
本当のオンリーワンとは、与えられるものではない。
自分自身で見つけ、積み上げていくものだ。
「誰もが特別」ではない。
自分が特別になりたいなら、それに見合う努力が必要だ。
あの時、違和感を覚えた自分は間違っていなかった。
今なら、それをはっきりと言える。